大学編入学について

大学編入学とは

大学に入るには入試を受けて1年生から入学するのが一般的ですが、短大や専門学校を卒業した後に大学の3年生から入るという方法があります。これが大学編入(大学編入学)です。
なぜこのような制度があるかというと、元々の大学の制度に理由があります。1990年代前半まで、4年制の大学は、その内部で、2年生までの教養課程と、3年生からの専門課程に分かれていました。具体的なカリキュラムは大学によって違いましたが、考え方としては2年生までは、例えば法学部でも文学を勉強するなど幅広い知識を教養として学び、3年生からは憲法学や文化人類学といったように、学生が専攻したいことを勉強するという仕組みでした。これは戦前の旧制高校と大学の関係の流れを汲むものでもあり、2年生から3年生に上がる時は試験があることもありました。
短大や専門学校は、この大学の教養課程と同様の教育を行う機関として、それらを卒業した後に、大学の2年から3年に上がるときの試験と同程度の試験を突破したものならば、編入を認めるという制度です。25年ほど前に大学の制度改革があり、4年制大学内部で教養課程と専門課程を分けていたのが廃止され、4年間の専門教育を一気通貫で行うようになりました。しかし、3年生からの編入という制度そのものは残っているという状態になっています。

なぜ制度が変わったのに編入制度が残っているかというと、大学側の本音があります。大学も一定の割合で学生が中退していきますので、年次が上がると欠員が出てきます。この欠員を埋めたいというのが一つ目の理由。
二つ目の理由は大学の学生の勉強意欲のテコ入れです。入試までは勉強してきたのに、大学生になってしまうと気が抜けて勉強しなくなってしまう大学生はいます。そして勉強をせずに惰性で大学生活を送ってしまう。こういった弛緩した学生に対して、「新しい血」を入れることです。大学入学をゴールとしてだらけて過ごしてしまっている学生の前に、その間目的意識を持って勉強してきた編入生をぶつけることで、気分をシャキッとさせるというのが編入制度の本音の理由になります。

大学浪人との比較

大学に現役で入る以外の方法としては、かつては大学浪人が一般的でした。特に、大学の数が少なく、18歳人口の多かった1990年代頃までは、志望校に合格するために大学浪人をするというのはかんり一般的であり、高校と大学の間に大学受験予備校に1年ほど通うのは、むしろ普通の若い人の姿というように見られていました。今の大学受験生の親世代の若かったころは、これが常識でした。
しかし、この常識は変わりつつあります。

高校卒業後現役で4年制大学に入り留年せずに卒業すれば、いわゆる社会人になって自分の力で所得を得るようになるのは高校卒業から4年後ということになります。大学受験で1年間浪人したとすればこれは5年後になります。
大学や予備校の学費はまちまちですが、単純にいうと4年分かかっていたものが5年分かかるということになります。
若い頃の1年間ぐらいは寄り道をしても構わないじゃないか、人生は長いのだからそれぐらいのほうがかえっていい人生勉強になる、というのが、大学浪人に対して寛容だった理由でした。
しかしこういう考え方は古臭いし危険だと考えられるようになってきました。
一つ目は、実際に学費がかかることです。
二つ目は、大学に関する考え方が変わってきたため、大学名のために若い頃の1年間と相応の学費を使うのは無駄遣いだと思うようになってきました。
三つ目は、大学浪人は1年間で終わるとは限らないことです。若い頃の1年ぐらいならば・・・かもしれませんが、2年かもしれないし3年かもしれない。もっとかもしれない。浪人する年次がかさみ続けるほどに引くに引けなくなってきます。誰もがこうなるわけではないですが、こういった多浪生は一定数います。そのリスクを考えると、安直に大学浪人を選ぶことは危険すぎるということに気づき始めました。

これに対し、専門学校卒業後大学3年次に編入するコースは、

• 高校卒業後4年間で社会人になる。
• 大学名を求めるよりも目的意識を持って大学を選べる。
• 若い頃に時間を無駄遣いしなくて済む。

といったことから、大学現役合格以外の大学進学コースとして近年注目されています。

大学入試とはなにか

もっとも一般的な大学への進学方法は、昔も今も大学入試試験を受けて合格し、1年生として入学することです。しかし、社会が大学及び大学入試に期待することが、昔と今では違ってきています。
大学及び大学入試というのは近代の特徴的な社会制度の一つです。前近代社会においては、国家の高級役人や軍の将校などの社会の中枢メンバーになるには、武士や貴族などそれが可能な身分に生まれるしかないのが普通でした。それに対して、誰でも入試にさえ合格すれば、生まれや身分に関係なく社会の中枢メンバーになることができるというのが大学であり、社会は大学にそれを期待していました。
これは近代社会とその中における大学という制度の功績ではあるのですが、弊害も目立つようになりました。大学に入学することそのものがゴールになってしまい、入学後に勉強しなくなってしまったのです。大学はレジャーランドなどと言われ、大学生は遊ぶものだと誰もが思うようになってしまいました。それでも大学生の数が少なかったころは、大学生であることに希少価値があったので、世間も大卒の人間を尊重してくれました。しかし大学進学率が向上するにつれて、希少価値は漸減します。このまま行けば高等教育そのものに社会は価値を認めなくなってしまいます。それを危惧し、1990年代頃から大学の改革が行われました。

その改革の根幹は、大学入試方式の多様化と、大学入学後の勉強の強化です。「入学を厳しくしてその後は放置する」という方針から「どのような経路で入学しても良いがその後はしっかり勉強させる」という方針に変えたのです。
今でも大学入試がもっとも一般的な大学の入り方には違いないのですが、その重要性は低下していきました。推薦入学やAO入試といったものも増え、いまでは私立大学の入学者の半数は推薦入学やAO入試だと言われます。
大学編入制度は昔からありましたが、近年になって注目されているのはこの流れがあるからです。どのような入り方でも構わないのならば、別に編入でも良いということになるからです。

大学編入は難しい? 簡単?

この大局を踏まえた上で、一般入試と比較して編入がその大学に入学しやすいかということを考えてみましょう。
答えは否です。
一般入試は高校までの勉強の成績を見ます。重視するのは公平性です。生まれや身分に関係なく入試に合格すればよいという大学の意味は、重要性が薄れはしましたが、無くなったわけではありませんし、無くそうとしているわけでもありません。この公平性を担うのが一般入試です。それに対して編入は公平性を重視しているわけではありません。「編入後にしっかり勉強させてうまくいくかどうか」という観点から選考しています。比べるものや見ているところが違うので、元々どちらが入学しやすいというように比較できるものではありません。しかしあえていうのならば、特に簡単というわけではないでしょう。

この問いかけの前提になっているのは、「大学は入試の難しさで価値が決まっており、入試の大変さの代償としてその大学を出たという権威が付与される」という「常識」です。これによると編入は「横入り」であり「列の割り込み」であり、だからズルいという考え方も、だからお得だという考え方も出てくるのでしょう。しかしこれはどちらも、一昔前の常識に基づいているとしか言えないでしょう。